第19話 組織の懸念

組織本部の最上階。普段は重要な決定事項がある時にしか使われない大会議室に、異例なことに緊急招集がかけられていた。

円卓を囲むのは、組織の中枢を担う幹部たち。それぞれが強力な異能者であり、各部門の責任者でもある。彼らの表情は一様に険しく、議題の重要性を物語っていた。

「では、本日の議題に入る」

議長を務める初老の男が、重々しく口を開いた。彼の左手には深い青の紋章が刻まれている。Aランクの空間系異能者だ。

「養成機関を卒業したばかりの新人、彼についてだ。諸君も報告書は読んだと思うが……」

テーブルの中央に、ホログラムで春樹の映像が投影される。相談室で働く姿、そして――訓練中に撮影された、紋章の色が変化する瞬間の映像。

「無色だったはずの新人が、時折異なる色の紋章を見せるという報告が上がっている」

会議室にざわめきが広がった。

「前例のない事態だ」

赤い紋章を持つ戦闘部門の責任者が、鋭い視線を映像に向ける。

「複数色を持つ異能者など、理論上ありえない。これは何かの間違いではないのか?」

「いや、複数の目撃証言がある」

別の幹部が資料をめくりながら答えた。

「訓練教官の報告によれば、感情の変化に応じて紋章の色が変わるという。怒りで赤、悲しみで黒、冷静な時は青……まるで感情に応じて異能そのものが変質しているかのようだ」

「そんなことが可能なのか?」

紫の紋章を持つ情報部の女性が疑問を呈する。

「我々の常識では、異能の色は生まれ持った資質で決まる。後天的に変化することなどない」

議長が重々しく頷いた。

「だからこそ、問題なのだ。もしこの報告が事実なら、我々の異能に対する理解そのものを見直さなければならない」

「あるいは……」

黒い紋章を持つ男が、不気味な笑みを浮かべる。

「危険な存在かもしれない。制御できない力は、組織にとって脅威となる」

その言葉に、会議室の空気が一層重くなった。

「監視下に置くべきだ」

「いや、研究対象として隔離すべきでは」

「処分も視野に入れるべきかもしれない」

様々な意見が飛び交う中、一人の女性が立ち上がった。

純度の高い橙色の紋章を持つ、白鳥渚だった。彼女は組織でも有数の実力者であり、分子操作の異能においては右に出る者がいない。

「待ちなさい」

彼女の一言で、議論が止まった。白鳥渚の存在感は、それほどまでに圧倒的だった。

「彼はまだ成長途中よ。今締め付ければ、才能が潰れる」

「しかし、白鳥研究員。前例のない事態に対して、慎重になるのは当然では?」

議長が反論するが、渚は首を横に振った。

「前例がないからこそ、慎重に観察すべきなのよ。彼の異能は、我々の理解を超えた新しい可能性を秘めているかもしれない」

「だが、危険性は?」

「私が責任を持つわ」

渚の断言に、会議室がどよめいた。

「彼の父親を、私は知っている」

その告白に、更なる驚きが広がる。

「15年前、彼の父親は人ならざる者となって処刑された。その時、彼の想いは息子だけでなく、私にも向けられていた。だから私にも異能が発現した」

渚は自分の橙の紋章を見つめる。

「彼の息子が特別な資質を持っていても、不思議ではない。父親もまた、稀有な才能の持ち主だったから」

「それは個人的な感情では?」

冷たい声で指摘されるが、渚は動じない。

「違うわ。これは組織の未来に関わること。彼の力を正しく導けば、組織にとって大きな財産となる。逆に、恐れて排除すれば、取り返しのつかない損失になる」

議長が深いため息をついた。

「では、どうすべきだと?」

「通常業務を続けさせながら、定期的な能力検査を行う。そして、私が個人的に指導する」

「君が?」

「ええ。彼の父親の意志を継ぐ者として、息子を正しい道に導く義務があるから」

長い沈黙の後、議長が決定を下した。

「白鳥研究員の提案を採用する。ただし、定期報告は欠かさないこと。そして、もし彼が組織にとって脅威となる兆候を見せたら……」

「分かっているわ」

渚は静かに頷いた。

会議が終わり、幹部たちが退室していく中、渚は一人残って窓の外を見つめていた。

(あなたの息子は、あなた以上の存在になるかもしれない。でも、そのためには正しい導きが必要……)

彼女の脳裏に、かつての恋人の姿が蘇る。

(私が守るわ。あなたが命を賭けて守ったものを)

一方、春樹は相談室で通常業務をこなしていた。

組織の上層部でこのような議論が交わされていることなど、知る由もない。ただ、最近周囲の視線が変わったことは感じていた。

好奇の眼差し、警戒の色、そして期待。

様々な感情が自分に向けられているのを、肌で感じる。

「どうしたの?考え事?」

同僚が心配そうに声をかけてきた。

「いや、なんでもない」

春樹は首を振って、仕事に集中しようとする。

だが、心の奥底では不安が渦巻いていた。

自分の異能の変化。それが何を意味するのか、まだ分からない。

ただ一つ確かなことは、この力を使って人を救い続けること。そして、いつか母を救い出すこと。

その目標だけは、決して変わらない。

夕方、仕事を終えて母の家に立ち寄る。

青い結界は相変わらず堅固で、母の姿はぼんやりとしか見えない。

「お母さん、今日も無事に一日が終わったよ」

返事はない。母は石像のように微動だにせず、ただ虚空を見つめ続けている。結婚指輪の片割れを握りしめたまま、15年間変わらない姿勢で。

「最近、僕の周りが少しざわついてる。でも大丈夫、必ず乗り越えてみせる」

春樹は結界に手を当てる。冷たい感触だけが返ってくる。

「いつか必ず、この結界を破って、お母さんを助け出す。それまで、もう少し待っていて」

夕日が沈み、辺りが闇に包まれる頃、春樹は家を後にした。

明日、白鳥渚という女性と会うことになっている。

組織でも有数の実力者だという彼女が、なぜ自分に興味を持ったのか。

不安と期待が入り混じる中、春樹は夜の街を歩いていく。

運命の歯車が、静かに回り始めていた。