組織本部の最上階。普段は重要な決定事項がある時にしか使われない大会議室に、異例なことに緊急招集がかけられていた。
円卓を囲むのは、組織の中枢を担う幹部たち。それぞれが強力な異能者であり、各部門の責任者でもある。彼らの表情は一様に険しく、議題の重要性を物語っていた。
「では、本日の議題に入る」
議長を務める初老の男が、重々しく口を開いた。彼の左手には深い青の紋章が刻まれている。Aランクの空間系異能者だ。
「養成機関を卒業したばかりの新人、彼についてだ。諸君も報告書は読んだと思うが……」
テーブルの中央に、ホログラムで春樹の映像が投影される。相談室で働く姿、そして――訓練中に撮影された、紋章の色が変化する瞬間の映像。
「無色だったはずの新人が、時折異なる色の紋章を見せるという報告が上がっている」
会議室にざわめきが広がった。
「前例のない事態だ」
赤い紋章を持つ戦闘部門の責任者が、鋭い視線を映像に向ける。
「複数色を持つ異能者など、理論上ありえない。これは何かの間違いではないのか?」
「いや、複数の目撃証言がある」
別の幹部が資料をめくりながら答えた。
「訓練教官の報告によれば、感情の変化に応じて紋章の色が変わるという。怒りで赤、悲しみで黒、冷静な時は青……まるで感情に応じて異能そのものが変質しているかのようだ」
「そんなことが可能なのか?」
紫の紋章を持つ情報部の女性が疑問を呈する。
「我々の常識では、異能の色は生まれ持った資質で決まる。後天的に変化することなどない」
議長が重々しく頷いた。
「だからこそ、問題なのだ。もしこの報告が事実なら、我々の異能に対する理解そのものを見直さなければならない」
「あるいは……」
黒い紋章を持つ男が、不気味な笑みを浮かべる。
「危険な存在かもしれない。制御できない力は、組織にとって脅威となる」
その言葉に、会議室の空気が一層重くなった。
「監視下に置くべきだ」
「いや、研究対象として隔離すべきでは」
「処分も視野に入れるべきかもしれない」
様々な意見が飛び交う中、一人の女性が立ち上がった。
純度の高い橙色の紋章を持つ、白鳥渚だった。彼女は組織でも有数の実力者であり、分子操作の異能においては右に出る者がいない。
「待ちなさい」
彼女の一言で、議論が止まった。白鳥渚の存在感は、それほどまでに圧倒的だった。
「彼はまだ成長途中よ。今締め付ければ、才能が潰れる」
「しかし、白鳥研究員。前例のない事態に対して、慎重になるのは当然では?」
議長が反論するが、渚は首を横に振った。
「前例がないからこそ、慎重に観察すべきなのよ。彼の異能は、我々の理解を超えた新しい可能性を秘めているかもしれない」
「だが、危険性は?」
「私が責任を持つわ」
渚の断言に、会議室がどよめいた。
「彼の父親を、私は知っている」
その告白に、更なる驚きが広がる。
「15年前、彼の父親は人ならざる者となって処刑された。その時、彼の想いは息子だけでなく、私にも向けられていた。だから私にも異能が発現した」
渚は自分の橙の紋章を見つめる。
「彼の息子が特別な資質を持っていても、不思議ではない。父親もまた、稀有な才能の持ち主だったから」
「それは個人的な感情では?」
冷たい声で指摘されるが、渚は動じない。
「違うわ。これは組織の未来に関わること。彼の力を正しく導けば、組織にとって大きな財産となる。逆に、恐れて排除すれば、取り返しのつかない損失になる」
議長が深いため息をついた。
「では、どうすべきだと?」
「通常業務を続けさせながら、定期的な能力検査を行う。そして、私が個人的に指導する」
「君が?」
「ええ。彼の父親の意志を継ぐ者として、息子を正しい道に導く義務があるから」
長い沈黙の後、議長が決定を下した。
「白鳥研究員の提案を採用する。ただし、定期報告は欠かさないこと。そして、もし彼が組織にとって脅威となる兆候を見せたら……」
「分かっているわ」
渚は静かに頷いた。
会議が終わり、幹部たちが退室していく中、渚は一人残って窓の外を見つめていた。
(あなたの息子は、あなた以上の存在になるかもしれない。でも、そのためには正しい導きが必要……)
彼女の脳裏に、かつての恋人の姿が蘇る。
(私が守るわ。あなたが命を賭けて守ったものを)
一方、春樹は相談室で通常業務をこなしていた。
組織の上層部でこのような議論が交わされていることなど、知る由もない。ただ、最近周囲の視線が変わったことは感じていた。
好奇の眼差し、警戒の色、そして期待。
様々な感情が自分に向けられているのを、肌で感じる。
「どうしたの?考え事?」
同僚が心配そうに声をかけてきた。
「いや、なんでもない」
春樹は首を振って、仕事に集中しようとする。
だが、心の奥底では不安が渦巻いていた。
自分の異能の変化。それが何を意味するのか、まだ分からない。
ただ一つ確かなことは、この力を使って人を救い続けること。そして、いつか母を救い出すこと。
その目標だけは、決して変わらない。
夕方、仕事を終えて母の家に立ち寄る。
青い結界は相変わらず堅固で、母の姿はぼんやりとしか見えない。
「お母さん、今日も無事に一日が終わったよ」
返事はない。母は石像のように微動だにせず、ただ虚空を見つめ続けている。結婚指輪の片割れを握りしめたまま、15年間変わらない姿勢で。
「最近、僕の周りが少しざわついてる。でも大丈夫、必ず乗り越えてみせる」
春樹は結界に手を当てる。冷たい感触だけが返ってくる。
「いつか必ず、この結界を破って、お母さんを助け出す。それまで、もう少し待っていて」
夕日が沈み、辺りが闇に包まれる頃、春樹は家を後にした。
明日、白鳥渚という女性と会うことになっている。
組織でも有数の実力者だという彼女が、なぜ自分に興味を持ったのか。
不安と期待が入り混じる中、春樹は夜の街を歩いていく。
運命の歯車が、静かに回り始めていた。