第35話 和解の時

祖母と由美子の対話が続いていた。

春樹は黒い紋章を維持しながら、静かに見守っている。

「おばあちゃん、あの時のこと……」

由美子が切り出した。

「私の結婚のことで、喧嘩になったこと」

祖母の表情が、少し曇る。

「ああ、あのことね」

三ヶ月前の喧嘩。

それが、二人の最後の会話となってしまった出来事。

「おばあちゃんは、彼のことを反対した」

由美子の声が震える。

「まだ早いとか、相手のことをよく知らないとか」

「心配だったのよ」

祖母が静かに答える。

「あなたはまだ若いし、世間知らずなところもあるから」

「でも、私はもう子供じゃない!」

由美子の目に、新たな涙が浮かぶ。

「自分で決められる年齢なのに、おばあちゃんはいつまでも子供扱いして」

「ごめんなさい」

祖母が頭を下げる。

その姿に、由美子は驚いた。

「おばあちゃん……」

「あなたの言う通りよ。私は、あなたをいつまでも小さな子供だと思っていた」

祖母の半透明の姿が、少し揺れる。

「でも、それは愛情からだったの。あなたに幸せになってほしくて」

「分かってる」

由美子が涙を拭う。

「本当は分かってた。おばあちゃんが心配してくれてるって」

「じゃあ、どうして……」

「認めてもらいたかったから」

由美子の声が小さくなる。

「おばあちゃんに、私の選択を認めてもらいたかった。大人として扱ってほしかった」

二人の間に、沈黙が流れる。

しかし、それは重い沈黙ではなかった。

お互いの気持ちを理解し合う、優しい沈黙。

「あなたの幸せを願っていただけなの」

祖母が言う。

「でも、その方法が間違っていたのね」

「おばあちゃんに認めてもらいたかっただけ」

由美子も答える。

「反対されて、悲しくて、つい感情的になって」

誤解が解けていく。

お互いの本心が、やっと明らかになる。

「由美子」

祖母が優しく呼びかける。

「あなたの選んだ人なら、きっと素敵な人なのでしょうね」

「おばあちゃん……」

「幸せになりなさい」

祖母の言葉に、由美子は声を上げて泣いた。

二人は涙ながらに、抱き合う姿勢を取る。

実際には触れ合えない。

祖母は半透明の存在で、手を伸ばしても空を切るだけ。

でも、心は確かに通じ合っていた。

春樹の黒い紋章が、激しく明滅し始めた。

限界が近い。

もう、この力を維持するのは難しい。

祖母の姿も、少しずつ薄くなり始めていた。

「もう、時間みたいね」

祖母が寂しそうに微笑む。

「でも、言えて良かった。あなたと話せて良かった」

「おばあちゃん、行かないで!」

由美子が必死に手を伸ばす。

「大丈夫よ」

祖母が優しく言う。

「私はいつでも見守っているから」

その言葉と共に、祖母の姿がさらに薄くなる。

「由美子、幸せになりなさい」

最後の言葉。

「私の分まで、たくさん幸せになりなさい」

そして、祖母は静かに光となって消えていった。

光の粒子が、天井へと昇っていく。

まるで、天国へ帰っていくかのように。

由美子は、その光を見送りながら、深く頭を下げた。

「ありがとうございます、おばあちゃん」

涙はまだ流れているが、その表情は晴れやかだった。

「おかげで、前に進めそうです」

春樹の黒い紋章も、白に戻っていた。

全身から力が抜けて、壁にもたれかかる。

初めて使った黒い力。

それは、想像以上に体力を消耗するものだった。

「大丈夫ですか?」

田中が心配そうに春樹を支える。

「ありがとう……大丈夫」

山田が由美子に寄り添う。

「良かったですね。お祖母様と話せて」

「はい。本当に、ありがとうございました」

由美子が春樹に深々と頭を下げる。

「あなたのおかげで、祖母と和解できました」

春樹は弱々しく微笑んだ。

「お役に立てて良かった」

そして、心の中で考える。

この黒い力は何だったのか。

赤い力とは全く違う、死者と生者を繋ぐ力。

破壊ではなく、対話。

殺すのではなく、癒す。

もしかしたら、これは優しい力なのかもしれない。

死者と生者を繋ぐ、架け橋のような。

でも、なぜ自分にこんな力が?

なぜ色が変わるのか?

謎は深まるばかりだった。