祖母と由美子の対話が続いていた。
春樹は黒い紋章を維持しながら、静かに見守っている。
「おばあちゃん、あの時のこと……」
由美子が切り出した。
「私の結婚のことで、喧嘩になったこと」
祖母の表情が、少し曇る。
「ああ、あのことね」
三ヶ月前の喧嘩。
それが、二人の最後の会話となってしまった出来事。
「おばあちゃんは、彼のことを反対した」
由美子の声が震える。
「まだ早いとか、相手のことをよく知らないとか」
「心配だったのよ」
祖母が静かに答える。
「あなたはまだ若いし、世間知らずなところもあるから」
「でも、私はもう子供じゃない!」
由美子の目に、新たな涙が浮かぶ。
「自分で決められる年齢なのに、おばあちゃんはいつまでも子供扱いして」
「ごめんなさい」
祖母が頭を下げる。
その姿に、由美子は驚いた。
「おばあちゃん……」
「あなたの言う通りよ。私は、あなたをいつまでも小さな子供だと思っていた」
祖母の半透明の姿が、少し揺れる。
「でも、それは愛情からだったの。あなたに幸せになってほしくて」
「分かってる」
由美子が涙を拭う。
「本当は分かってた。おばあちゃんが心配してくれてるって」
「じゃあ、どうして……」
「認めてもらいたかったから」
由美子の声が小さくなる。
「おばあちゃんに、私の選択を認めてもらいたかった。大人として扱ってほしかった」
二人の間に、沈黙が流れる。
しかし、それは重い沈黙ではなかった。
お互いの気持ちを理解し合う、優しい沈黙。
「あなたの幸せを願っていただけなの」
祖母が言う。
「でも、その方法が間違っていたのね」
「おばあちゃんに認めてもらいたかっただけ」
由美子も答える。
「反対されて、悲しくて、つい感情的になって」
誤解が解けていく。
お互いの本心が、やっと明らかになる。
「由美子」
祖母が優しく呼びかける。
「あなたの選んだ人なら、きっと素敵な人なのでしょうね」
「おばあちゃん……」
「幸せになりなさい」
祖母の言葉に、由美子は声を上げて泣いた。
二人は涙ながらに、抱き合う姿勢を取る。
実際には触れ合えない。
祖母は半透明の存在で、手を伸ばしても空を切るだけ。
でも、心は確かに通じ合っていた。
春樹の黒い紋章が、激しく明滅し始めた。
限界が近い。
もう、この力を維持するのは難しい。
祖母の姿も、少しずつ薄くなり始めていた。
「もう、時間みたいね」
祖母が寂しそうに微笑む。
「でも、言えて良かった。あなたと話せて良かった」
「おばあちゃん、行かないで!」
由美子が必死に手を伸ばす。
「大丈夫よ」
祖母が優しく言う。
「私はいつでも見守っているから」
その言葉と共に、祖母の姿がさらに薄くなる。
「由美子、幸せになりなさい」
最後の言葉。
「私の分まで、たくさん幸せになりなさい」
そして、祖母は静かに光となって消えていった。
光の粒子が、天井へと昇っていく。
まるで、天国へ帰っていくかのように。
由美子は、その光を見送りながら、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、おばあちゃん」
涙はまだ流れているが、その表情は晴れやかだった。
「おかげで、前に進めそうです」
春樹の黒い紋章も、白に戻っていた。
全身から力が抜けて、壁にもたれかかる。
初めて使った黒い力。
それは、想像以上に体力を消耗するものだった。
「大丈夫ですか?」
田中が心配そうに春樹を支える。
「ありがとう……大丈夫」
山田が由美子に寄り添う。
「良かったですね。お祖母様と話せて」
「はい。本当に、ありがとうございました」
由美子が春樹に深々と頭を下げる。
「あなたのおかげで、祖母と和解できました」
春樹は弱々しく微笑んだ。
「お役に立てて良かった」
そして、心の中で考える。
この黒い力は何だったのか。
赤い力とは全く違う、死者と生者を繋ぐ力。
破壊ではなく、対話。
殺すのではなく、癒す。
もしかしたら、これは優しい力なのかもしれない。
死者と生者を繋ぐ、架け橋のような。
でも、なぜ自分にこんな力が?
なぜ色が変わるのか?
謎は深まるばかりだった。